インターネット、特にソーシャル・メディアはコミュニケーションの形を変えた。アーティストにとっても同じで、日々刻々ソーシャル・メディアで何かを発信することがアーティストの重要な仕事になってしまった。一般の人はどう鼻が効くのか、スタッフが投稿したものには無反応なのに、アーティスト本人のものには反応するからだ。
日本だと歌舞伎の市川海老蔵さんが1日に10回も20回もブログを投稿するので有名だし、Lady GagaのブレイクのきっかけはTwitterだった。最近ではマイリー・サイラスがInstagramで毎日毎日写真や動画を公開している。

この結果、アーティストと一般の人との関係が変わってきた。
まずは縦の変化。マイケル・ジャクソンの時代は、天上にいる大スターが作品やコンサートで一般の人にメッセージを伝達していた。いまや、水平である。市川海老蔵さんだろうがマイリー・サイラスだろうが、同じソーシャル・メディアでつながった「友だち」みたいになった。
もう一つは水平の変化。「友だち」だから距離がとても近い。ソーシャル・メディアでは会ったこともない「友だち」をご飯に誘うようなこともあるけれど、それと同じようにアーティストたちに「明日名古屋に来るんなら飯でもどうよ?」だなんて平気で書いてくる。

写真も勝手に撮られて即座にソーシャル・メディアで拡散される。密会現場だろうが、子ども連れでどこかに行こうが、である。しかも悪意のあるコメントも付いていたりして。「誰々はセレブぶってるけどコンビニでお弁当なんか買ってるぜ」とか「誰々の子どもって意外とブサイク」だなんて書いてあったりして。

有名人は、ソーシャル・メディアによって開放前の奴隷のようになってしまった。誰に何を言われても頭を垂れて何も言わずにじっとしているしかないのである。

2014年にロサンゼルスの空港で、からかわれて暴力騒ぎになった時にカニエ・ウェストが裁判前の尋問で「公民権運動前の黒人」と、いまの有名人のことを語った。だからストレスがものすごいのだと。空港で公衆の面前で大きな声でひどいことを言われた時に堪忍袋の緒が切れたのだと。

このカニエ・ウエストの行動には同情の声が強い。
何もソーシャル・メディアで攻撃されるのは有名人だけではない。しかし、彼らは有名人であるというだけで攻撃され、ぼろぼろになるのだ。本人はまだ良い。こういうのも覚悟をした上で有名人になっているから。でも彼らの子どもたちは別だ。彼らは選んで有名人の子どもになったわけではない。でも、有名人の子どもというだけで写真を勝手に撮られ、悪口を書かれる。

有名人の私生活を暴露するのがマスコミだけだった時代は、コントロールが効いた。「Focus」編集部に圧力をかけて記事の掲載を取り消さしたり、パパラッチにお金を渡したり。でも、いまの一般人にはこんなことは通用しない。
「そんなことスルーしてがんばれ」というのは簡単だが、有名人本人たちはストレスを溜め込んでどんどん病んでいく。
ああ、どうしたら良いのだろう。