20150302

日本の個人情報保護法改正への議論がグジャグジャになっているようだ。

保護法改正案…個人情報定義、振り出し (読売新聞)

この記事によると、マイナンバー制度導入を前提に今開かれている国会で通過させなければならない個人情報保護法改正案が、「何が保護すべき情報なのか」を1年半議論してきた諮問委員会の議論とは関係なく、実質的に現行法と変わらないものになってしまったのだという。

この諮問委員会では「顔認証データは保護すべきなのか」とか「では、ブラウザのクッキーはどうなのだ」とかを議論しようとした人々がいたようだが、全くナンセンスである。現在の技術レベルで顔認証データとかクッキーとかを論ずることに意味が無い。現在の法改正議論は、現行法が制定された10年前には想定できなかったようなテクノロジーが発展して普及したので時代に合わなくなったのだ、というのが発端で始まったと聞いている。であれば、今のテクノロジーで「顔認証データがどうのこうの」「クッキーがどうのこうの」といったところで少しすればまたこのテクノロジーは古び、新たなテクノロジーが出てくる。毎年のように法律を改正できるのならともかく、10年に1度見直す程度なら、ここのテクノロジーについて議論しても全く意味が無い。

広告主は、ムダな広告を打ちたくないと思う。絶対に男性用カミソリを買ってくれない人に男性用カミソリの広告を見てもらう必要はなく、その分買ってくれるかもしれない人の心の奥に自社商品のイメージを埋め込みたい。
消費者は、インターネットで自分の情報が取られて使われるのがキモチワルイという。興味本位でサイトで見ただけの商品の広告がリタゲで追いかけてくるのがカンジワルイ。さりとて、自分が絶対に買うことのない広告ばかりを見せられるとイヤになる。
では、このお互いが重なりあう所はどこなのか? これが社会のルールとして生き残っていけば、細かいテクノロジーなんかどうでもいい。
amazom.co.jpのリコメンデーションに好意を持っているのならば、裏にどんなテクノロジーが使われていようと関係なく広告主が利用できるようにすれば良い。楽天のリターゲティングがキモチワルイのならば、裏のテクノロジーは関係なく規制すれば良い。それだけの話だ。

広告主はお客さまあってのビジネスなのだから、消費者が嫌がることはしない。消費者が嫌がっているのに喜んでやっている広告主がいたら、それはきっとサディスティックな会社だ。いずれ淘汰される。
つまり「消費者の皆さん、どうなれば一番心地いいですか?」の答えが個人情報保護の答えだ。
テクノロジーはどんどん出てくる。「ありゃ、この新しい手法キモチワルイ」となれば法律に関係なく自然と淘汰される。消費者に心地いい手法は古いテクノロジーだろうが最先端だろうが生き残る。
こういう視点がなくて「まず規制」から始まる議論になんか、全く意味が無い。