堺屋太一さんの『団塊の後 三度目の日本』を読んだ。

団塊の後 三度目の日本
堺屋 太一
毎日新聞出版
2017-04-22


堺屋太一さんは今の日本は「3Yない社会」なのだという。

・欲ない
・夢ない
・やる気ない
本当だよね。

ワーッと人を掻き立てて気分を高揚させ、何かする気にさせる雰囲気は、70年代から89年くらいまでの20年間だよ。昭和の最後の20年さ」

これも本当だ。

目下は不況、市中に資金は潤沢、金利は低水準

資金が潤沢であれば、普通はタンスや銀行にしまい込まないでどこかに投資すれば良いようなものだが、活気のある投資先が日本の中にはなかなかみつからない。では日本から外に目を向ければ良いものを、これを見ようとする人は少ない。日本は清潔で安全で治安は悪くないし、電車は定時にキッチリと運転されている。何も変なことが起こらないようになっている。こんな場所なんか日本以外にはなかなかみつからない。でも、何も変化がないから日々は退屈。新しいこと、変わったことをやろうとすると「出る釘は打たれる」。打たれるのはイヤだから、何もしないようにしている。欲も夢も持っていてもムダだし、やる気なんか出そうもんなら打たれる。

気がつくと、人間が規格品みたいになってしまった。
工業製品の規格化を進めてきたのには何人かの偉人がいる。
・アメリカの拳銃製造業者サミュエル・コルトのはじめた部品生産・組立方式
・シカゴの精肉業者グスタヴァス・スウィフトの考案したベルト・コンベア方式
・フレデリック・ウィンスロウ・テーラーの創造した一作業員一作業の労務管理方式「テイラー・システム」
・この3つを組み合わせたヘンリー・フォード
規格化されて大量生産された製品を消費する人物像としては、人間も規格化されていてほしい。長年かけて日本人はすっかり規格化してしまった。
規格外の人間を叩き潰すのは伝統的な日本人も得意だが、ネット民たる若い人はもっと得意だ。ネットという武器を使って、何か少しでも違和感を感じる事象が起きるとネット上で寄ってたかって叩き潰す。

世界は、規格化から脱しようとしている。個性的で多種多様な製品を短時間に安価に提供できるしくみがこれからどんどん生まれていくのだ。規格化、大量消費に飽きた人々はこれに群がり始めている。この動きに乗ってこれを推進している。

私はいま、毎日この社会の中で生きているのだが、気分はすっかり規格化、大量消費に飽きているので、もう嫌になっている。塞いだ気分だが、こういう本を読むと、これがまとめられていて実に不機嫌になる。

だから、この本は読まないほうが良いよ。