「AIが発達すると仕事がなくなる」「どうした良いのか」というような議論があるけれど、これはとぼけた議論だと思う。
蒸気機関が普及した時に多くの仕事はなくなったが、代わりの仕事も数多くできたし、これを機に人間は週休1日は取れるようになった。

AI対人間のように語ること自体がそもそもの間違いだと思う。業務の何かが自動化されたり、これにより職業そのものが消滅することはあるかもしれないけれど、人間の仕事がまるごと消えることは起きないだろうと思う。
むしろ新しい仕事が色々増える可能性が高いと思う。
AIとは、計算環境と機械学習や自然言語処理などの情報科学とデータを組み合わせて人間が実現を目指すゴールに過ぎない。AIには「できない」ことはたくさんある。ただ「できる」ことが人間よりも極端によくできるのである。

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数学における特異点(出典:Kurzweil, Ray (2005). The Singularity is Near. New York: Viking Books.)

たとえば運用型広告の運用は、人間なんかよりもAIの方が遥かにうまい。広告クリエイティブを多くのパターン用意して世に出し、反応の状態を学習したら、相手を見て最も効果が高いと思われるクリエイティブを相手ごとに出し分ける、というようなことは人間にはとても無理だ。
AIにとってはクリエイティブのどの要素が効果の理由なのかは関係ない。
ところが、AIはクリエイティブのアイデアを出すことはできない。できるのは「過去、クリエイティブAは千葉県に住む30代女性には効果がありましたが、同じ30代女性でも兵庫県で効果があったのはクリエイティブBでした」ということを常に急激な速度で学習し続けていくことである。
今、デジタル広告の現場では人間が、人間のできるスピードでレポートし、これを見た誰かが決断して広告の運用を行っているわけだけれども、こんな仕事はAIの仕事になってしまう。
でも、人間には他にやるべき仕事がやまほどある。

AIの普及によって省力化されるのは知的労働と言われている種類のものだ。好例は医師の診断で、医師は目視や検査データによって、過去の症例と目の前の患者の症状を比較して診断を行う。これは、医師の知識量や過去の経験に依存するので、個人差がある。ところが、過去の症例をたっぷり詰め込んで機械学習を重ねたAIは、知識や経験の少ない医師よりもハイ・レベルの診断を行い、人間である医師はメンタル面などを含めて治療に専念でき、過去にない症例が発見されたら、これを公表してAIの精度のより一層の向上に寄与することができる。

こうなると、人間の労働時間を大きく短縮することができる。
私が期待しているのは週休3日制とか1日の労働時間の短縮である。

創世記の神様たちが6日働いて1日休んでこの世界を作ったと創世記に書かれていたことから週休1日のしくみができ、産業革命後にこれが実現した。
これから約100年で週休2日が実現した。日本で週休2日制が固定したのは、1992年5月1日から国家公務員の完全週休二日制が実施されてからだ。
週休1日制になったから、週休2日制になったから、といって人間の所得は減少したわけではない。週休3日制とか毎日の労働時間が短縮化されたとしても、所得が減少することはないだろう。

私がいまエンタテインメントの仕事を一生懸命やっているのも、近々労働時間の短縮化が実現するであろうと思っているからだ。
労働時間が短くなれば、その分人々は楽しいことに時間を使うようになるだろう。ある人は映画を見、ある人は音楽を楽しみ、ある人はスポーツに興じる。そのような世の中が来たときに「楽しいこと」をたくさん提供できるようになっていたい、と思っているのだ。

だから私はAI推進派である。
もっともっと、楽しいことで世の中を埋め尽くしたいと思っている。