Dennis 50

インターネットで本当にコミュニケーションは変わったのかなあ? 購買行動は変わったのかなぁ? できる限り、実験してみたいと思います。

コミュニケーション

2015/11/21(土) 曇り 転校してもイジメは終わらない 原因はネット

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中学2年生のA子さんは学校でいじめられて学校に行けなくなってしまった。母の実家に移り住み、別の学校に通うことになった。この際に、母の旧姓を名乗った。下の名前は同じままである。

最初はうまくいっていたのだけれど、転校して2か月くらい経ったころから新しい学校でもイジメが始まってしまい、この学校にも行けなくなってしまった。当初の予定では高校は私立に行くので、その間をなんとかしのごうということだったけれど、この予定も狂ってしまい、いまは途方に暮れている。

新しい学校でイジメが始まったのは、ネットに投稿された1本の動画がきっかけだったそうだ。前の学校でいじめられている、顔がバッチリ映っている動画が投稿されていて、これが新しい学校の子たちに発見されてしまったのだそうだ。これ以後「A子は前の学校でいじめられっ子」「A子はフケツ」等と言われ、また学校に行けなくなってしまったのだそうだ。

転校するときに苗字だけでなくて下の名前も変えてしまえば「他人の空似」とか言ってごまかせたかもしれない。でも、下の名前でバレちゃったみたい。

イジメから脱出するのには転校は一つの手段だったみたいだけど、ネットのせいで、これまでのようにはうまくいかなくなったみたい。

ああ、かわいそう、今の子どもたち。

なんで、イジメなんてするんだろうね?
自分(たち)と違うと感じられる子はイジメの対象になりやすいみたい。
出る釘は打ってしまう。今の子どもたちは小さい頃からそう育つのかね。
なんと痛ましい。

2015/11/16(月) 晴れ 先生が後押ししてみんながいじめるようなもの

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オリンピックのエンブレム問題は最近あまり話題にならないから、ほぼ鎮火したのかな。
佐野さんが辞退したのが9月1日。約75日前。「人の噂も75日」とはよく言ったものである。

アート・ディレクターの佐野研二郎さんがデザインした東京オリンピック、パラリンピックのエンブレムが7月24日に発表されるとネットで次々に似た画像が指摘され、佐野さんがディレクションした他の作品まで類がおよび、佐野さんがネット上で吊るしあげられる結果となった。
佐野さんがデザインしたエンブレムを取り下げることにしたのも、このエンブレムがネットでの指摘のように「パクったから」ではなく、「もうこれ以上は、人間として耐えられない限界状況だと思うに至りました」からで、「このような騒動や私自身や作品への疑義に対して繰り返される批判やバッシングから、家族やスタッフを守る為にも、もうこれ以上今の状況を続けることは難しいと判断し、今回の取り下げに関して私自身も決断致しました。」とのことであった。

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今回のこの事件は、ネットから火がついたのは確かだ。しかし、これを拡散したのはマスコミだ。朝のワイドショーなどで軒並みネットで書かれた「パクリじゃないか情報」を拡散し、調子に乗ったネット民がさらに調子づいて書きまくった、ということだと思う。

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少し前ならネットの書き込みは「便所の落書き」だとか言って、まともな大人は相手にしなかった。もちろんマスコミもである。しかし、いつしかネットの一般の人の書き込みがマスコミで取り上げられるようになった。朝のワイドジョー全般にそのような傾向があるが、特に「とくダネ!」は番組冒頭からネットで昨日話題になったことを後追いするネタが目につく。

今回の佐野さんの件も、以前なら「ネットの中のできごと」で済んでいたかもしれない。「このロゴ、これにそっくりじゃないか」なんていう書き込みは何年も前からごく普通にあったものだ。
しかし、マスコミがこれを取り上げ、増幅したものだから、世の中がみんなで特定の個人をいじめるようになってしまった。私はインターネット上にメール・アドレスなどは普通に晒しているので、もし何かあれば佐野さんと同じように個人メールにまでメチャクチャな書き込みをされまくってしまうのだろう。

ネットの世界で、学校でと同じように行われていたイジメが世の中全体に広がったようなものだ。マスコミが増幅するのは、生徒がやっているイジメを先生が後押しするようなものだ。
ああ、おそろしい。

ネットにいじめられないように、明日もいい子にして生きていこう。

 


2015/11/06(金) 晴れ 言葉ってむずかしい

スポーツ・ライターを目指して日々がんばっている若い人の話を聞いた。
彼は沢木耕太郎さんの「一瞬の夏」や山際淳司さんの「江夏の21球」に憧れてスポーツ・ライターを目指しているが、3年目の今年から、なんとかまともなギャラのもらえる仕事も入ってくるようになったし、選手のインタビューもできるようになってきたのだそうだ。

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私が「スポーツ選手のインタビューって大変でしょ? 口が下手な人が多いから」と聞くと「そうでもない」のだそうである。私の想像通り、スポーツ選手の口はうまくはないから、最初の頃は受け答えのウラにある気持ちを推量していたそうなのだけれど、最近はそんなことをしなくなったそうだ。
スポーツ選手の多くは、自分の言葉を持たないのだそうだ。彼らは、聞き覚えのある言葉に自分の気持ちをあてはめるように喋るのだそうである。
う〜ん、なんだかむずかしい。
部分部分、言葉尻だけを取ると、ありきたりの、耳障りの良い、いい子ちゃんの表現に聞こえてしまう。ところが、インタビューを文字に起こしてコンテキストで見ると、全体として選手の気持ちがわかるのだそうである。
すごいなぁ。若いのに、いや、若いからこそ、こういう気持ちがわかってあげられるのだね。

私は、スポーツ選手との接点はあまりないけど、エンジニアとかプログラマーという種類の人との会話が大変苦手である。
やや難易度の高い仕事を頼んだ時エンジニアが「実現はむずかしい」と言うので、私は「この人のスキルではこれは実現できないのだ」と判断し、クライアント・ワークの場合は「実現できない」と早めに言ってしまう。実現するプログラムの難易度を下げて許してもらうのだ。要らぬ期待を持たせてはいけないからね。
ところが結局、締め切りに間に合わず、さんざん私はイライラした挙句、怒鳴りつけてしまう。ところができ上がってきたものが「むずかし」くて、私がクライアントに「できない」と言ってしまったものだったりするので、余計に怒ってしまう。
エンジニア側は「むずかしい」仕事をやり遂げて自慢げである。私は、一度断ったものなんか要らないからアタマに来る。
できるかもしれないんなら最初の段階でそう言って欲しい。やっている最中にできそうなら、その段階で言って欲しい。
私がクライアントに「できません」と言ってしまったことは知っているだろう。「できません」と言ってしまった限りは誰も実現を期待していない。クライアントも気持ちを切り替えてくれている。
私は必要ない努力をして締め切りに遅れたことに不満だし、エンジニアの側も「せっかく努力したのに喜ばれない」と不満である。
お互い不幸である。

言ったことは必ずやる、「できない」と判断されたことはしなくてよろしい。
中には「あいつはむずかしいと言ったが、必ず実現する」と思ってクライアントには何も言わないでいる度胸のある人もいるかもしれないが、私には無理。
こんなことを20年も続けている。

本当に、言葉ってむずかしい。


2015/10/27(火) 晴れ 日本語レッスンの先生が素晴らしい

ここしばらくコ・ワーキング・スペースを利用している。
ここで日本語のレッスンを受けている白人がいる。
毎日何時にここにいる、という利用法ではないので毎回必ず見ているわけではないが、英語を練習中の私にはとても参考になる。

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まず、どうやらテキストはあるようだ。このテキストはIT系の人たちの実践的な用途のために作られているようで、
「このショッピング・バスケットはeBayと同じ構造です」とか
「ダウンロード・サービスには十分なサーバーが必要です」とか
「計画は来年以後を見据えて考えなければいけません」とか
「(プログラム言語の名前)はこのプロジェクトに適切ではありません」など。
これを練習したあと、この例文を使ってその日にすぐに使える表現を先生に習って自分の環境で使ってみる、ということらしい。

もうすぐハロウィンの今日の基本例文は「(プログラム言語の名前)はこのプロジェクトに適切ではありません」。
このバリエーションが「かわいい仮装はハロウィンには適切ではありません」。あはは、おっしゃる通りw
「カわいいカ装はHalloweenには適切ではありません」になっていて、
「かわいい」とか「かそう」は言いにくそう。英語の「Halloween」は英語っぽくて、何度もカタカナ風に直されている。でもどういわけだか「適切ではありません」」は実にスムーズに発音している。基本例文から何度も練習したからかな。
しかし、この白人、このレッスンのおかげか、短期でものすごく日本語が上達していて、日本人のバカ話にも付き合っている。先生のおかげだろうか。
先生も大変だよね。「この例文を使って今日使える表現」を毎回考えてあげないといけないもんね。レッスンのたびに英語でリクエストされた「かわいい仮装はハロウィンには適切ではありません」的な例文を考えてあげて、発音の練習をして、この間は「こう返されたらこう切り返す」なんてことも教えていたもんなぁ。
基本例文「計画は来年以後を見据えて考えなければいけません」の時には、気がついたら「amazonは駅の向こう側です」になっていたもんなぁ。例文の英訳に「beyond」が含まれていたものと思われる。

こんなに柔軟な先生、すばらしい。

2015/10/14(水) 晴れ 褒めてあげないとグレちゃうぞ

ずいぶん長く仕事をしていなかった人の自宅に招かれた。
彼は、奥さんがいなくなっちゃって、小さい子ども二人と暮らしている。イラストをメインの仕事にしているので、自宅は仕事場でもある。付き合いのなかった間の仕事を見せたいというのである。

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話がひと通り終わって、出してもらったコーヒーとお菓子の器が空いて片付けるときに、この小さい子がお手伝いをした。
イラストレーター氏が「○○ちゃん、テーブルのお皿持ってきて」と言うと「は〜い」と言ってお皿をテーブルから流し台に運んでくれた。その次に「じゃ、今度はコーヒー・カップを持ってきて」と言ったらコーヒー・カップだけを持ってきた。ソーサーやスプーンはテーブルに置きっぱなしである。この時彼は「いやー、この子気が利かなくってさぁ、コーヒー・カップって言うとコーヒー・カップだけでソーサーやスプーンは持ってきてくれないんだよねぇ」と私に言った。
これを聞いた○○ちゃんは今度は気を利かせてソーサーとスプーンを運ぼうとしたら、転んでお皿を割っちゃった。
○○ちゃんは割れたお皿を片付けようとしたらイラストレーター氏に「余計なことはしなくっていい」って言われちゃった。かわいそうに。

ダメだよ、子どもは言ったことをやったら褒めたげなくっちゃグレちゃうぞ。
だって○○ちゃんは「お皿持ってきて」「コーヒー・カップ持ってきて」って言われたから、そうしたんだよ。「お皿とコーヒー・カップとソーサーとスプーンを持ってきて」って言われてないじゃん。一つのことを言われたから一つのことをやったのに「気が利かない」だなんてかわいそすぎる。まして、気を利かせて割れたお皿を拾おうとしたら「余計なこと」とか言っちゃダメだよ。
○○ちゃんは混乱しちゃうし、せっかくいい子でお父さんの言うことを聞いているのに褒めてもくれないと、もう言うことなんか聞きたくなくなっちゃうぞ。

私は子どもがいないので、親の立場よりも子どもの立場に寄ってしまうのかもしれない。
今住んでいる団地のブランコで子どもがブンブンすごい勢いでこいでいる時、お母さんたちは「危ないからやめなさいっ」と言うけど、私は「いいぞいいぞ、どんどんやれ〜」って思っちゃうもんな。

イラストレーター氏、○○ちゃんをほめてあげてくれたまえ。ホント、中学生くらいになったらグレちゃうぞ。

 
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