ときどきJASRACのことがマスメディアで報道されたり、SNSで語られたりする。これはいいと思うのだけれど、音楽業界以外の人から「カスラック」だなどと言われて、JASRACは本当にかわいそうだと思う。

ここしばらくの報道にはこんなものがあった。
ヤマハ、JASRACを提訴へ 教室演奏の著作権めぐり
音楽教室での音楽使用に関しては現在JASRACは使用料を徴収していない。しかし、来年から年間受講料収入の2.5%を徴収する方針を示したことに関してヤマハ音楽振興会が訴訟を起こす方針を固めた件。
JASRACは徴収の根拠を「演奏権」にもとめている。著作権は「複製権」著作物を印刷、写真、複写、録音、録画などの方法によって有形的に再製する権利、「上映権」著作物を公に上映する権利など10個に別れており、このひとつ「演奏権」の行使の対価として使用料を徴収しようとしているのだ。ところがこの「演奏権」は「公に演奏」と決められているだけで、音楽講師だけがいる場所での演奏は演奏権の行使にあたるのか、他の生徒がいるところでの演奏はこれにあたるのか、自宅で練習しているのは演奏権の行使に当たるのか、その際に友人が聞いていたら演奏権の行使に当たるのか、と言った詳細は明文化されていない。
ヤマハの取った裁判を起こすという態度は実に正しくて、音楽教室での演奏はどうなるのか、というグレー・ゾーンに関して司法の判断を求めるものである。
「カスラック」などと言っている人々は「音楽教室の演奏なんか金を払えるか」「こんな料金を支払ったら音楽教室の経営は成り立たない」などと言っているが、果たしてそうなのか。これに関して司法の判断を求めるわけである。
はやく裁判が進んで、どのように判断されるかが大変楽しみである。
著作権料、京大に請求せず JASRAC「引用と判断」
2017年の入学式の式辞で、京都大学総長はボブ・ディランの「Blowin' in the Wind」の歌詞の一部を用いた。これを京都大学のウェブサイトに掲載した。この件に関してJASRACが京都大学に問い合わせ、歌詞の使用料が必要になる可能性を伝えていた件。
今回は、この使用が「引用かどうか」が論点になっているが、私はこれにはいささか違和感を感じている。JASRACはウェブサイトで個人・非営利団体・文部科学省が定める教育機関等が行う営利を目的としない配信と、一般企業などが営利を目的とする配信とではルールを分けている。
ウェブサイトに教育機関がダウンロード可能な形で音楽著作物を使用する場合、年間2,400円、月間なら300円という料率を定めている。京都大学は言うまでもなく文部科学省が定める教育機関であるから、この料率が適用される。「引用かどうか」は音楽教室での演奏が演奏件の行使に当たるのかと同様に規定が成文化されていないため、明確にするのならこれも司法の判断ということになる。京都大学が「こういう裁判がめんどうくさい」というのならばこの料率で年間2,400円支払ってもらえばいいだけなのに、なんで勝手に「引用にあたる」と判断して物事をウヤムヤにしてしまったのか、これは不明。でも、営利団体だろうが非営利団体だろうがタダでは音楽やその歌詞は使えない、ということで、大学に連絡を取ったのは正当な行動。
父の葬儀、流せなかった思い出の曲 著作権の関係は?
父の葬儀で「江差追分」をかけようとしたら葬儀屋さんに止められてできなかった件をJASRACに転化したもの。今回の楽曲「江差追分」は、そもそも音楽著作権の保護期間が過ぎているので、JASRACの管理楽曲でさえ、ない。
JASRACはどんどん音楽は使っていただく、でも使用料はほんの少額だから払ってね、という立場。
おなじ事業者でも結婚式場の経営者は音楽を使うのが当然だったから、おそらくほとんどの事業者はJASRACと契約していて、年間使用料を支払っている。葬儀で音楽が使われるのが一般化したのはごく最近のことなので、JASRACの営業マンも葬儀場や葬儀会社にはまだあまり出向いていないのだろう。
ちなみにJASRAC管理楽曲を葬儀などでかける場合、500m2まで、100人までの会場で1回2円である。
以前JASRACには「カラオケGメン」という人々がいた。カラオケが通信カラオケになる前、まだテープやレーザー・ディスクを使っていた頃、カラオケを置いている店を一軒一軒回って使用実態を把握して、JASRACと契約をするように働きかける仕事をしていた人たちだ。JASRACの徴収システムは、こういう地道な努力が積み重なって今に至っている。
カラオケはいまやサーバーにある音楽をカラオケ装置から呼び出して演奏する形に変わったので、どの機械で何時何分何秒から何時何分何秒までどの曲が演奏されたのかがすべて分かる仕組みになっているから、通信カラオケ以後しか知らない人はわけがわからないと思うけれど、当時はこういう努力が必要だったのだ。
音楽は音楽家の頭のなかに天から無料で降ってきて音楽家は何しなくても「印税生活」できるかのように思っている人もいるのかもしれないけれど、与えられた才能をひねってひねって作り出すものである。
この対価は「はい、ドカンと1億円」とかじゃなくて、円の下の銭単位の積み重ね積み重ね、なんである。CDが売れて1枚何円何十銭、ラジオでかかって何銭、カラオケで1回歌われて何銭、というのを積み重ねて、なんとか収入と言える金額にしているのである。
これは、本来自分で集金するべきなのだろう。自分でレコード・レーベルに行き、放送局に行き、カラオケ会社を回って自分の楽曲の使用料を徴収する。そんなことできないから作詞作曲家はJASRACに自分の作った曲を信託して、集金してもらうのである。
音楽業界にいない人にもJASRACをはじめとする著作権使用料徴収団体の果たす大きな役割について理解してもらいたいな。せめて「カスラック」だなんて言われないくらいには。